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ジグムント・バウマン『コミュニティ 安全と自由の戦場』

社会的安全を手に入れようとするには

自由を支払わなければならない
社会的安全は理想的なコミュニティで保証される
しかし、コミュニティが語られた時点で"暗黙の了解"から成り下がり、既にその存続は不可能となる
その代用品としての「アイデンティティ
差異が独自性を形作るというもの。

関与 engagement の時代では支配者、被支配者共に依存する
社会的枠組みが強固だったが、今日までにこの基軸が修復不可能なまでに破壊された
撤退 disengagement の時代へ
人は原子化し、コミュニティは崩壊
成功者たちはコミュニティから離脱
平穏に生活する権利を手に入れようと、防御区域 gated community に住む
この際、成功者と貧困層を繋ぐ橋を成功者が吊り上げてしまうため二極化が起こる

コミュニティの概念とは、
利益を均等に分かち合うという「友愛的な義務」が不可欠というもの
この特徴こそがコミュナリズム(共同体主義)を弱者の哲学にする

固体的近代 solid modarnity から
液状的近代 liquid modernity へ
前者は関与の時代、後者は撤退の時代にあたる
人生の目的は快楽、幸福であること
伝統的社会からの離脱
近代においてこの2つの側面を持ち、
ここで、再配分の問題から承認の問題を解き放ったことが社会的環境変化に最も影響をもたらした

グローバリゼーション
強制の産物としてエスニック・マイノリティが再生産される
コミュニティは同化か消滅を迫られる
多文化主義
差異 difference への新たな無関心 indifference によって成立
本質は保身的な力で、不平等が文化的差異に作り変えられてしまう
多文化主義は聞こえはいいものの、不平等がこの世界観自体の根拠だということを語らずに済ませている

結果、はきだめ=ゲットーに貧困層が押し込まれる
安全の確保は自分たちの手でするほかなく、安全なコミュニティとしての自発的ゲットーが出現
ゲットーとは壁のない監獄であり、監獄とは壁のあるゲットーである
両者とも望ましくない連中を閉じ込め、動けなくする戦略の型

多文化主義=イデオロギーの終焉というイデオロギーであり、撤退を通しての権力/過剰を通じての規制による知的虚飾

コミュニティは分かち合いと相互の配慮によるものでしかありえない
そこでは権利、平等、関心、責任を有する

5.Apr.17