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目に見えること、見えないこと

生きていると、目に見えることで
頭がいっぱいになる
しっかりと現実を見て
毎日を生きることは大切。
だけど、生きていても、
生きているからこそ、
目に見えないことにこそ大切なものがあるのではないかな、と最近よく感じる。

例えば、感情は一番分かりやすいかも。
怒りを感じた時に咄嗟に口に出すことは
そう多くはない
少し考えてから、自分なりの理由があって
相手に勇気を出して伝えてみると
「どうしてその場で言ってくれなかったの?」と言われることがある。
自分が違和感と怒りを感じた、その瞬間、の感情の変化は目に見えないから、まずそこで相手との時差が出てくる。
逆に咄嗟に口に出したときには
「なんで今言うの?」と言われることも…
状況や相手の様子を感じ取りながら、
伝えるのはいつがいいのか、
その時々によってベストな選択をしたはずだったんだけどな…
うーん、考えれば考えるほど難しい…泣笑

喜怒哀楽だけでは表現出来ない感情も、そう。
悲しみの中にある、温かい愛情とか
愛情ゆえの怒りとか
とっても楽しいのにどこかで感じる孤独とか。

目に見えない部分に敏感になることは、
相手に思いやりを持つことと繋がるところがあると思う。
ただ、そこで自分の感情や感じたことを犠牲にするのは間違い。
どんな人間関係の中でも
完全に相手と一致することなんてないのだから、その瞬間、瞬間でお互いが心地よく折り合いをつけていくのが一番だと思う。

私自身は怒りの場合は出来るだけ、
まず一旦落ち着けてから要点を整理して
相手に伝える。
感情的になって争うことほど、
無駄で疲れることはないから…泣
ただ時にはそういうときも必要だったりもする。
その感情の大きな波を一緒に乗り越えた後にはそれ以前よりも強い愛情が感じられたりするから。
でも感情的なぶつかり合いは、たいていお互いに余裕のないときだから
せめて少しでも考える時間を見つけられたならいいと思う。

感謝の場合は、すぐに口にするよう心掛けている。
ありがとう、大好き、愛してるよ
こういう言葉は相手はもちろん、自分までも穏やかで温かな気分にしてくれるから

こう書いているといつもとても穏やかな感じがするけど、実際は違います…笑
いっぱい後悔したから、やっと、思えた。

目に見えないことだからこそ、
深い愛情だったり、永遠を感じたり出来る。
特に、身近な人の死を経験したときに
強く感じました。

思い出もそう。
写真やムービーには残せても、
その時の感情や雰囲気、においまでは
残らない。
記憶の中にそっとしまって、自分の中で大切にとっておく。
大切な存在を亡くしたとしても、
一緒に過ごして感じた思い出は消えない。


出逢って、一緒にいたという事実。
それ以上のものはない。

 

目に見えないことによって
目に見えることが出てくる。
本当は目に見えることより
見えないことの方がはるかに多い。
本質は目に見えないことの中にこそあるかもしれない

私たちは生きている。
だからこそ大切にしたい、
目に見えないこと。

 

7.Feb.17