Think about...

不定期blogです。移行しました!

本を読むこと

今年から書くことを始めて、もう1年が経とうとしている。

書きたいことはまだまだたくさんあって、
自分でも驚いてるくらい。
書くこと自体が自分を救ってくれた部分がたくさんあった。
今年書くのはこれでラストかな。
調子が良ければあと1本。笑

書くことと同じくらい、好きだと思ったことを最近再確認した。
それは、本を読むこと。

インプットすればするほど、
アウトプットの量は増えていく。
読むから、書ける。

特に、今にも眠ってしまいそうなまどろみの中で本を読む、という行為がとても好きだ。
ふわふわしながら心地よく、その本の世界に入っていける。

人間の体って、今を生きるために全て捧げられる。
だけど心は時間も空間も超えて旅を出来る自由がある。
一冊の本で世界を旅することが出来るし、
時間さえ行き来出来る。
思っている以上に心は自由だということを、
本を通して知ることが出来る。
それって当たり前だけど本当にすごいこと。

常に手元に、ちょっとした時間に読める本を置いておくのも好きだな。
その、ちょっとした時間を本が特別なものにしてくれるときがある。
っていうとかっこいいけど、要はいい時間を過ごせてるっていう、自己満足。笑
でもその自己満足が、心を穏やかにしてくれるんだから、それはそれで大事。
しかも同じ本でもその時々で響いてくる言葉は違う。
それって自分が変化しているということ。
本を通して結局自分を知るのかも。

エッセイ、小説、自伝、詩集…
数え切れないタイプの本があるけど、
タイミングと自分の心の状態、そのときの環境でいろんな出会いと気づきがある。
世界観を広げたり、ちょっと客観的に自分を見たいと思ったときに本を読むことって、ぴったりだと思う。

それが、私の場合書くことに繋がった。
読むことと書くことって対に思えるけど、
実は2つで1つのことなんじゃないかと思う。

別に人より多く本を読むわけでもない。
すごく早く読めるわけでもない。
読む時期、読まない時期の波があったっていい。
そんなことより、
本を読むという行為が好きだ
ということが何より大事なんだと思う。

やっぱり本が好きだなって再確認しながら、
読むことをライフワークにしたいと思う。

ちょっと早いけど、
Merry Christmas🎄✨

21.Dec.17

ことわざって、すごい。

タイトル、

ことわざから学ぶ
にしようかと思ったけど堅いからやめた笑
ことわざから学ぶものって本当に多くて、
ことわざになるだけあるな、すごいなって、
最近すごく感じてる。

人のふり見て我がふり直せ
立つ鳥跡を濁さず
後悔先に立たず
隣の芝生は青い
負けるが勝ち
急がば回れ
…挙げたらキリがないけど
どれもその通りで、

しかも同じような意味のことわざが他の言語を使う文化にもある。

真理とまではいかなくても
それに近いものがある気がする。

生活の中でおばあちゃんの知恵的な、
昔から言われてることって
時代を超えて通じる部分があるけど
ことわざもまさにそうだと思う。

仏の顔も三度まで
二度あることは三度ある
三度目の正直
とか、何故か「三」がよく使われる。
前に日本人は「三」という数字を重んじ、好むと何かで聞いたことがある。
理由は忘れてしまったけど、笑
経験則として「三」は物事の目安になる数字なのかもしれない。

少し派生すると、四字熟語も似てる。
表裏一体
温故知新
四字熟語は一文字で意味を持つ漢字の
いいところをよく利用してるなと思う。
英語だったら四字だけでこれだけ深い意味は
表せない。
表意文字を使う文化ならでは、だ。

こういうのって、生きていく中で
その都度ヒントをくれる。
その時々でバチン!とはまることわざが
何かしらあって、
その状況を乗り切るパワーを与えてくれる。
広く長く、伝えられてきたものだからこその重みがあって、
自分の選択は間違ってないと思える。

が、しかし、だ。
頼りすぎて自分を正当化することはNG。
そのジャッジはなかなか難しい…泣笑
あくまでヒントとして頭に置いておくくらいがちょうどいい。
こういうことわざも、私が知らないだけであるかもしれない。笑

13.Dec.17

言葉にしたいもの

 

blogの記事も30を超えたので、

ここで一旦自分について考えてみようかな。
私が言葉にしたいもの
これから言葉にしていきたいものを。

共通するのは、「そもそも」のところ。
何かの起源、原因。
どうも私はそういうところが気になるみたい。
そもそもこれってどうなの?とか。
「意識」も、そう。
日常の中で、人生の中で、無「意識」にやっていること、考えていることを
言葉を使って「意識」する。
これも「そもそも」に行き着くかも。
無意識を意識に昇華させることは、
「そもそも」を掘り下げることだから。

 

思えば小さい頃から原因とかそもそものところとか、やっぱり起源に繋がることに興味があった。

人には取るに足らないことが気になって仕方がなかった。
それが、自分だけこうなのかな?みんなは違うのかな?って不安に化けていたところもあった。
あ、人って意外と気にしてないんだなって気づいて楽になったのはだいぶ最近の話だけど…泣笑
それに、作文を書く時間が好きだった。
その2つを合わせてみると、それって今やっていることだ。

文章を書くようになってから良かったのは、
自分のことも人のこともある程度客観的に見れるようになったこと。
なにか辛いことがあっても、
(これ、blogに書けるから味わっておこう…)
とか思えるようになった。笑
これについてはまた別で書こうと思ってる。
話を戻して…。
客観的に見ることで、深掘り出来るようになった。
どんなに複雑なことだって、
原因を辿ればシンプルだ。
シンプルが重なり合って、絡み合って、
複雑になる。
なら絡まった糸をほぐすように、
丁寧にゆっくり、解いていけばいい。
その工程も含め、原因を辿ることが私は好きだ。

っていうことも、書くことがなければわからなかった。
自分が好きなことを続ける、
その最大の魅力は
自分と人を知ることなのかもしれない。
考えて、書く。
そうやって知っていく。
そんなことを、これからも
地味にマイペースに、続けていこう。

30.Nov.17

updown ok!

気持ちを穏やかに。いつもフラットに。
…って、とても大事なことだけど
人間、常にそんなに大らかな気持ちでは
どうしたっていられない。
だって、全く別の感情を持つ人たちと関わっているんだから。

私が文章を書き始めたとき、
穏やかに…感情は一度冷静に見つめてから…って、思っていた。
もちろん今もそれは頭にある。
でもそれが頭でっかちになって、
ちょっと大げさになっちゃうけど、
喜怒哀楽の波を少し恐れていたような節があった。

人と関わるっていうのは、
それぞれ別個の感情を持った存在が関わり合うわけだから、
そりゃぶつかることもすれ違うこともある。
でも、だから、共感も出来るし確かめ合える。

穏やかであることは一つの通過点であって、
常にキープすることは不可能。
更に言えば、最終到達点でもない。

updownあってこその、flat

downを望まないなら、同時にupも手放すことになる。
どちらか一方だけなんて、絶対にないから。
upのときはわがままになりすぎず、
すごくありきたりだけど、
ちゃんと、感謝する。
downが来たら、あえてそれを味わってしまおう。
downの中にいるということは、次にupが待ってるはず。
今その中で何を考え、得るかで
いつか来る別のdownのときに、
その度合いがぐっと変わってくる。

どうしたって余裕がないときは
まずちゃんと食べてちゃんと寝る。笑
考えるのは、それからでOK!
余裕がないときに考えてしまうと、
いい方向には向かわないから。
一人で抱え込みすぎることも、ダメ。
聞いてくれる、信頼できる人がいるなら
頼ったっていい。
もしもそういう存在がいないなら、
書き出してみてもいいと思う。
自分の中に溜め込んだものが固まってしまう前に、アウトプットして流してしまう。

updownを経てやってくるflatは、
それを経ないものよりもずっとずっと、深みがある。
だから、updown、全然OK!

…って、書きながらも自分に言い聞かせてるところも、正直ある。泣笑
でもつまるところ、生きるってことの一部はそういうことだと思ってる。
だから、大丈夫。

23.Nov.17

似て非なるもの

批判と不平不満

優しさと甘え
気遣いと気を使うこと
自尊心と自惚れ、過信

私たちは日常の中で、
こういう似て非なるものを混同してしまっていることが多い。
似ているけど本当は全くの別物なのに、
うまく線引きが出来なくなっている。
似ているからこそ、その線引きが重要。

同じような例はまだまだいっぱいあるだろうけど、最初に挙げたうちの前者には全て一種の責任と覚悟のようなものが伴う。
簡単には出来ないものばかりで、深さや奥行きがある。
だけどそのどれもが人生の中で触れていくもので、その全てが重要なポイントになる。
一方後者は似ているようで違う。
無責任だし自分本位。浅くて、薄い。

その線引きはすごく難しい。
どこまでが前者でどこからが後者か、
場合によってはグラデーションになってることもある。
でも別の言葉でそれぞれ名前がついてるくらいだから、そこにはやっぱり差があって、別物であることには変わりない。
その差は、人それぞれかもしれないし、その時々で変わるかもしれない。
だから、難しい。

しかも、前者のつもりでも気をつけていないとすぐ後者に偏りやすい。
全てを間違うことなく完璧に、なんて無理だけど、ひとつひとつを丁寧に選ぶことなら出来る。
間違ってしまった場合でも、その間違いがどこで起きてしまったのか、冷静になってから深掘りすれば間違いだけで終わらないで済む。
わがままな選択になりやすいなってことをわかっておくだけでも、全然違う。
ただ、丁寧になりすぎることは自己犠牲になってしまう。
丁寧と自己犠牲も、別物。
これも"自覚"する上でとても大切なこと。

まず自覚することが線引きの始まりかも。
自覚が積み重なって深みになる。
取るに足らないこと、普段意識もしないことを、あえて考える。
それが本質を掴む一番の方法かもしれない。

10.Nov.17

sense of humor

ユーモアって、人を惹きつける強力な力がある。

人に何か伝えたいとき、説教くさくなったり
何かを学びたいとき、重くなったり。
それをそのまま受けるより、ユーモアがあることですっと、より深く入っていける。
話の緩急がつくことでそのハードルがぐっと低くなるのかも。

でもそのユーモア、欲しいと思った時点で
自分の中にはない。
そう、ユーモアって、一種のセンスだ。
だからsense of humorって言うんだ。

自分の中にないそのセンス、どう養うか。
狙えば狙うほど、スベるし。笑
そう考えると狙ってオチもつけてテンポよくわかりやすく話せる芸人さんたちって、ほんとすごい。
人にウケたこと
自分の好きなポイント
この蓄積…かな?
例えば、人にウケたこと。
狙うより不意なほうが爆発力がある。
自分の失敗を笑われることを嫌がる人もいるけど、
その場合、笑いの種類が違う。
不意の失敗は自分にとってもハプニングで、
それを一緒に笑ってくれる人がいるって、
最高にあたたかい。
自分の好きなポイントってのは、
好きな芸人さんとか笑いのパターンとか、
そういうの。
好きな芸人さんを見てると
たまーに、自分の中にその人がいることに気付く。
あの芸人さんなら今こうツッコむな、とか。笑

ユーモアに限らず、今まで自分の中になかったけどほしいなと感じるセンスって、
やっぱり人を見て、真似から入って、
養っていくしかない。
そうすると人との関わりがどれだけ大切かわかってくる。
子どもだって、何か新しくできるようになるときって、大人の真似から入る。
きっとそれと似てる。
こうやって言葉にすると難しそうだけど、私たちは生きてきた中で数え切れないくらい、これを無意識のうちにやってきたはず。
それって当たり前のようだけど、すごいことだ。

人から学んだものと、自分の感覚を融合させて、自分のものとして確立していく。
人間の営みの多くはそういう風になってるものじゃないかって、最近すごく感じる。

自分の生まれ持ったものと、
自分が生まれてから得たもの。
それらが合わさったものが、自分を形作っていく。
本当に自分のものとして得たとき、
それが魅力となって人を強く惹きつけるのかもしれない。

29.Oct.17

コミュニケーションって、難しい!

最近、人との関わりの中で痛感したことがあった。

というか、まだまだ現在進行形。
それは、
一言多いくせに、言葉足らずになってしまう
ということ。
つまり、
コミュニケーションの難しさ。

まず一番ベースの部分として、
コミュニケーションは難しい
何かを他者に伝えることはとてもハードルが高いことだ
ということを知っておくことはとても大切。
当たり前のようなことだけど、
その当たり前を理解するとしないでは大違い。
これがきちんと頭に置いてあれば、
コミュニケーションを丁寧に取ろうと思えるから、人に優しく出来るし、わがままになり過ぎないで済む。
その結果、自分が助けられる。笑

全ては、自分をhappyにしてあげることで、他者と心地よく生きていくために。


合気道の先生があるTV番組で、
自分の力をぶつけるだけでは相手はびくともしない。
だけど相手の力に一瞬だけ身を委ねて、相手の力を利用することで自分の力をそんなに使うことなく倒すことが出来る。
呼吸を合わせることが、大事。
合気道は読んで字の如く、気を合わせる道を学ぶもの。
…みたいなことを言ってた。…気がする。笑
運動会でやる綱引きも、同じようなイメージかも。

何が言いたいかと言うと、
優しさは優しさに繋がるし、
怒りは怒りで返ってくる。
怒りも憎しみも、悪循環を断ち切るのは、自分!ということ。

断ち切るってことには苦しさや葛藤、
なんで自分だけ我慢しなきゃいけないんだろう
自分だけ損してない?
みたいな考えがどうしても付き纏う。
だけど、同じことを嫌な気持ちでいつまでも続けるより、断ち切る勇気は自分のことはもちろん、相手をも救ってくれるんだから…と考えると、それはもう一目瞭然。


自分のコミュニケーションの癖を知ることも、とても大事。
噛み合わなかったり、すれ違ったりしてイライラする!ってこと、私は結構よくある。泣笑
しかもそのイライラ、相手に伝染する。
すれ違って、ぶつかって、戻って、落ち着いて。
それだけじゃ同じことをずっと繰り返してしまう。
どうしてすれ違ってしまったのか、そもそもどうしてその"ズレ"が起こってしまったのかまで考えることって、あまりない。

主語が抜けやすい
言わなくてもわかるでしょっていう、過信
すぐコミュニケーションを諦めてしまう
等々、自分にも相手にもいろんな癖があることを知っておくと、
気をつけて、直す
っていう、次のステップに進める。
そうすると関係の改善が出来てくる。

コミュニケーションは万能ではないし本当に難しい。
それでもこれ以外に伝える方法ってないから。
使いこなすにはきっとそれぞれのコツがある。
それをいろんな方法で自分なりに見つけていけばいいと思う。

そう思いながら、私なりの途中経過をここに残しておこうと思います。
新月の夜に。

20.Oct.17