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信じること

信じるとは。

家族を、恋人を、友達を、自分を
信じ続けるとは。

信じている人に、裏切られる。
裏切られる?
信じて、いたのに?
それって、自分が期待していたこととは違った。ってことを裏切られたにすり替えてないか?

全然ネガティヴなことではないって前提の元で、信じるということの本質を考えてみたい。

信じることと、期待することは、違う。
信じるって、全てを受け入れて大きな気持ちを持って許すってことじゃないのかな。
それって、簡単には出来ないことだ。
そんなこと、生半可な気持ちでは本当の意味では成立しない。
だけど、これがきっとそうなんだって、
それこそ信じたくなることもある。
使い勝手もいいし、耳触りもいいからどんどん軽くなっていく。
本質からだいぶかけ離れたものになる。

期待し、期待され、
裏切り、裏切られ、
それはそれでおあいこじゃないか笑
これは、淋しいことでも、諦めてるわけでもなくて。
それが、ただ、シンプルな事実なんじゃないかってだけで。

信じ続けることは、もっと難しい。
ある瞬間、全てを受け入れて信じるのは、
比較的容易い。
だけどそれを続けることは、至難の技だ。
そんな純粋でハードルの高いこと、どんな聖人がなせることなのかとさえ思う…泣笑

それでも、信じること、信じ続けることが
出来るんだって、それだけは信じていたい。

ほんの一瞬でも、少しの間だけでも、
ここで言う本当の意味で、信じることが出来るっていうのは、すごく純粋で尊い
それは同時に、欲深さや盲目的な怖さを孕んでいる。
その純度が高ければ高いほど。

程度の差はあれど、信じ続けることが出来るなら、それは大きな幸せだ。
一方的なものより、相手も同じならもっと。

信じることの本質を追求しようとすると、ただの理想や完璧主義的な部分が出てくる。
実際には無理が出てくるし、いちいち細かいことを気にしていたらきりがない。
だけどそこを見逃せないなら、ちゃんと目を向けて一つ一つ、時間はかかっても丁寧に向き合えばいい。
自分に合う具合を、そうやって探っていけばいい。

信じる。
普段使ってるよりもずっと純度の高いそれを、ずっと信じている。
ただ、今はまだその途中。

8.May.17